若者、孤独と諦め

 いかに孤独でなくなるかでなく、結局孤独であることをいかに忘れるかなのではないかと思う。

 私の人生経験は浅い。しかし浅いにしても、もう1/4ほどには来ていそうなものだ。もうすでに、一つの限界が見えた。出会ったものすべてを抱えて生きるのは無理なのだ。好きだったものですら過去に置いていかなくてはならないのだ。

 私がここに来て孤独を感じているのはたぶん、過去に愛おしいと思ったもの、わかっていると思った人を、全部今に連れてこられるのだと、どこかで信じていたからなのだ。それは現に所有するということなのかもしれないし、見える場所に置いておくということなのかもしれないし、連絡を取り合うということなのかもしれないし、いつでも連絡できると思っていることなのかもしれないし、いつか何か話そうと思っていつまでも置いておくことなのかもしれない。

 でもある日突然、それができないのだと気づくのだ。小中の帰り道、毎日暗くなるまで駄弁って帰った友達と、今でもSNSで繋がっているけど、会って話しもしたけど、もう何時間も話すことがないのだ。定番の恋愛トークは、あの頃喋っていた誰と誰がどうで~とか、あの先生が~とかの星の数ほどあったくだらない話よりつまらない。昔は何を話していたんだっけ。あの頃のその子からも、あの頃の私からも隔絶されて、私はもう二度とそちら側には帰れないんだなと思う。会うことで、失ったことに気づくのだ。

 私が連絡を絶っていたのがいけなかったのかもしれない。そうでなければ、そうでなければ私はもっと、彼らの世界を同じ位置から覗けたのかもしれない。高校に入ってから数年の間、高校出てから数年の間に、まあそこそこ色々あって、私の知らぬ間にみんなにもその色々があって、もうどう頑張っても、別の世界を生きているのだ。近況報告でお互いを見つめることはあっても、同じ場所から同じものを同じ目線で共有することはもうできない。会うことで距離を知って寂しくなるくらいなら、いっそ過去に閉じこめておこう、会わないでおこう。

 私は思いの外、高校以前の人間関係のあり方を気に入っていたのかもしれない。いや、そのあり方しか未だ知らないのかもしれない。現時点で付き合いのある人としか、繋がりを感じられない。というのも、少しだけ、ほんの少しだけでもその人の世界に私がいることがわかるから。

 本当は、しばらく関わりを断っていた人とも、もう一度回復できたらいいのかもしれない。でもやっぱり違うと感じる。頑張って空白の期間のお互いについて知っていったとしても、現時点で違う世界に生きているということは、今の私と今の彼らは違う過去の積み重ねで、違う地点にいる、理解はできても共感はできない者同士なんだろうと思う。思っているよりずっとずっと硬く大きな壁が立ち塞がっている気がしてくる。

 人生はこれの繰り返しなんだろうなぁ。猛烈な寂しさに襲われる。今好きなものも、見ている景色も、世界を共有している人も、少し先には持って行けないのかもしれない。もしくは、みんなみんな進んでいって、私だけ置いてけぼりなのかもしれない。私でさえ、私に置いて行かれてしまうのだ。時と時との隔絶、人と人との隔絶。何もなくしたくない。何もなくしたくない。

 でもたぶん、それは無理だから、ただ今だけを見つめることでしか孤独を忘れられない。今持っているものだけを見つめて、それらをなくすだろう未来も、過去になくしたものたちも、見ないふり。私は”すべてを”持っている。今も、これからも、ずっと。