どうして大事にされないんだろう。どうして蔑ろにされるんだろう。どうして他人が自分の欲望を通すために犠牲にしていいと思われるんだろう。どうしてその人の承認欲求や種々の他人を必要とする欲求を満たすために私を利用していいと思われるんだろう。どうして私の意思を問わずに触ったり甘えたりして自分の欲求を満たしてもいいと思われてしまうんだろう。どうして損失を負わなければ大事にしてもらえないんだろう。どうして。どうして。どうして。どうして私は大事にすべき人間になれないんだろう。どうしてだめなの。どうしていつもこうなの。どうして?頑張って、真面目に、誠実に生きようとしているのに、どうして他人が欲を満たす道具にされて、人から恨まれて、自分を責めなくちゃいけないの。どうして怒れないの。どうして声を上げられないの。どうして自分で自分のことを大事にできないの。どうして?どうして。どうしてなの。一体どうしてこうなったの。

上海蟹食べたあい

最近、くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」を、Spotifyを開くごとに流して頭を琥珀色に染めている。嘘で、琥珀色のイメージはてんでついておらず、上海蟹食べたい あなたと食べたいよというフレーズだけが自分の欲望と同化して鳴り響いている。

最初に、自分の意思とは関係なく2回聴いた。2回ともカラオケで(それぞれ別の)男子が歌っていたのだけれど、1回目ふーん、おもしれー歌詞と思ったもののしばらく忘れていて、2回目にあの時のだ、という感動を伴って急に体に入り込んできた。多分どちらが欠けても今こう鬼リピすることはなかった。

じゃあ、異なる人間が2回偶然カラオケで歌ってくれるという条件が満たされると上の効果が発動するのか、といえばそういうわけでもなく、今の私の心に共鳴して良くも悪くも震わせてくれるからこうなっているにほかならないのである。

聴く度に最初快いな、と思う。曲調が明るすぎず暗すぎず、朝焼けや夕焼けの少し遠くて暗さと隣り合わせのあかりが目の奥に滲むような。楽しさに心の底からはっちゃけることも、悲しさにボロボロと真っ直ぐ泣くこともなんだかできなくなってしまった私には、このくらいがいいのだ。強い快よりも優しさが欲しい。でも馬鹿らしいと思ってしまわないよう甘すぎないのがいい。そんなわがままハートに答えてくれるちょうどよさ。この曲調に知らぬ間に吸い込まれて、気づけば2周目、3周目をしている。

聴いていくとだんだん、そうも言っていられなくなる。心地いいとかちょうどいいとか、そういう問題ではない。これは大問題なのだ。というのも、最初の心地良さはどこへやら、聴けば聴くほど苦しくなってくるのだ。心が。言いようのない感情がもくもくと湧いて胸の底に沈む。もくもく、もくもく、次第に私のちっぽけな胸を一杯にして、いてもたってもいられなくする。なんだ、なんなんだ、この気持ちは。

ああ、そうか、きっとこれは、憧れだ。憧れであり、自分にはもうずっと届かない気がする苦しさだ。愛だ。そういうタイプの愛だ。

歌詞の初めの方は、シティポップというジャンルのイメージやぽわぽわした音とは逆に、割と荒涼とした感じのする言葉が並んでいる(ちなみに私は全く音楽を語る言葉を持たない。もう十何年も前に、特に好きでもないエレクトーンの前で習ったスタッカートやスラーくらいしか覚えていない。なので、そこら辺の語彙の薄っぺらさや不正確さには目を瞑って欲しい)。硬さ、強さみたいなものを感じさせるラップなのだが、一番の後半になると少しづつ綻びが見える。義理堅いガタイのいいお兄さんたちが(北斗の拳よろしく)西部劇なんかで出てきそうな荒涼とした道をラップバトルをしながらどしどし歩いていると思えば、その心は実はみな弱っているという。しかもお前(私)と一緒でみな弱っているのだと。ぎゅっと引き寄せられる。そういうギャップは大好物だ。自分もある意味そういうところがあるからなのか、はたまたそういう強そうな人の心の隙に居場所を見つけるのが好きだからか。ガタイのいい、向う見ずの、甘え下手な、頼りがいある、強面の人間(大いに比喩を含む)が人影でふと下げた眉尻や、上の歯で押さえつけた唇や、意図せず潤ませた目なんかを見ると、無言でその心ごと抱きしめたくなる。強面でブイブイ言わせているラップ男が一気に、自分と似た、理解可能な、愛すべき存在に変わる。自分語りをしすぎである。あ、今更だがこの文章は曲の論評をしようというものではなく(音楽の品定めをする資格など一度も与えられたことがない)、感想半分妄想半分回想半分なので大いに自分語りも含む。解釈と呼べたものでは当然ないし、多分間違ったことの方が多いが、私の見た世界は私だけのもの。

それで何だっけ。そう、この時にはもうこの愛すべき男(たち)から私は離れられないでいる。可愛くて心配で仕方ない。や、誰だ。半分はこの街の義理堅いガタイのいい男たちのことだし、半分は語り手(歌い手)のことだし、半分は私が愛すべきと思ってきた男たちの総体である。そしてそんな愛すべき男に、「この街はとうに終わりが見えるけど俺は君の味方だ」なんて言われてしまうのだ。無口で無骨で口下手な彼らが、こんなことを言うのだ。好きだ、とか、愛してる、とか、そういうんじゃなくて、味方なのだ。味方という言葉のどこまでも続く味わい深さに陶酔したい気がする。好きや愛してるみたいに相手と向き合うような気持ちではなく、一緒に同じ方を向いてぼーっとしていてくれるような、そういう愛情。恋愛は、どこか闘いのような感じがする。好き同士でもない限り、いやそうであっても、ゼロサム的にいつも本来的に利害が対立して、絶えず闘っている。相手がちょっとでも自分の思い通りに動くように、好きだよなんて言葉をチラつかせてみたり出し惜しんだり、利用できるくらいに思い上がらせて要らなくなったらつれなくしたり。疲れる。疲れてしまう。相手の目に映る自分を見たくなくなる時もある。そんな悩める現代人の心に、ああ、「味方だ」という言葉はなんと優しく響くんだろう。この街はとうに終わりが見えるのに。どうせ終わってしまうこの街で味方になって優しくする利益なんてもうないのに。それでもこの人は、私に何かを求めない、ただ幸せを願ってくれるような存在であろうとしてくれてるのか。その、ある意味での無関心さ、消極的な愛のようなものが、強ばっていた体をほぐすような。傷つかないよう武装した心を労り撫でてくれるような。びゅーてぃふぉしてぃーびゅーてぃふぉしてぃー(しばし脳の休憩)。

この後のラップについてはちょっと難しくてわからない。うおーすげー韻だーって思いながら聴いてる。「ずっと泣いてた」うんうん。「君はプレデター」ん?急に捕食者にされてしまったがまあ、いいか。むしゃむしゃ。「決死の思いで起こしたクーデター」クーデターとはフランス語のcoup d'Etatだがカナに直す時本当はクー・デタと長母音にせず止めるのが自然であっt

もういいよそういうの。君はもうひとりじゃないから。言われたい。もういいんだよねこういうの。そう、何がそういうのなのかわからないけど、現状を否定するでもなく、ただなんとなく嫌気がさしているようなこちらの気持ちを汲み取ってくれて、その気持ちをむしろ肯定してくれているような。強情な私が無責任にもういいなんて言わないでよ!って言おうと口を開きかけたところで、君はもうひとりじゃないからとか言う、そういう、も〜〜〜。ひとりにしないから、じゃなくて、ひとりじゃないから、なんだよ。有無を言わさずにいるって押しが強いようでもあるけど、自分の存在をこちらに押し出さずに、ただ「味方」だから、私に何を求めるわけでもなく、私が何をするわけでなくても、ただある、ただひとりぼっちじゃないことだけを最低限保証してくれる、別にそれが自分だなんて言わないんだけど、そういう優しさに感じる。

なぜこういう優しさが沁みるのか。一方ではそれが今となっては珍しいからだが、他方では、それで満足できなくなってしまったのがやはり自分だったからだ。素朴で飾らない優しさでこちらへ伸ばされた手を、ここまでの人生のどこかで、要らないと手で払いのけてしまった。もっと目立つ、立派で強くて特別で、私を意味ある何かにしてくれそうな、そんな激しい表現の方をある時点で求めてしまった。そのために失ってしまった、ただただ暖かいだけの手を思い出して、自分の若さと愚かさを悔やんでいるのだ。どこかで何かを越えてしまって、もう元の世界には戻れないような、途方もない寂しさを伴いながら、あの手を自分の手にとることを何度も何度も夢に見る。

そして来たる、上海蟹食べたい。ここ中国だったんだ。そういえばイントロの最初のところ、中国語の話し声だったかもしれない。上海蟹が唐突すぎてそれ以前の全ての記憶が真っ白になり、脳内が蟹に染まる。上海蟹食べたい、あなたと食べたいよ。あなたと食べたいよの破壊力。何かを一緒に食べたいって思うのって、愛じゃないですか。上海蟹なのは、単に自分が食べたいからだろうか、美味しいからあなたに食べさせたいんだろうか、それとも一生懸命に殻から外しているあなたを微笑ましく眺めていたいからだろうか。いずれでもいい。食べるっていう行為は、自分と食べる対象さえいれば成り立つはずなのに、そこにわざわざ特定の誰かを求める。あなたと向き合うわけではなく、あなたとともに蟹に立ち向かう。「俺は君の味方だ」って、言ってたね。きっと、こぼしそうになったら何も言わずに手を添えてくれるんだろうな。上手に食べなよ、こぼしてもいいからさ。この一行矛盾にとれるフレーズの味わい深さ。なんだろう、上手に食べる挑戦へ背中を押して、見守って、失敗してもこぼれたのを掬って、失敗した私も受け止めてくれるんだろうなって。優しさだし、愛だ。うう。愛だ……

そういえばどうしてbeautiful cityなんだろう。YouTubeのコメント欄を見ると、琥珀色なのは黄砂のせいらしい。黄砂が舞う街、それでも美しいのは、君との思い出に溢れているからだろうか。人の感覚って思いの外自分の中にあるものに影響されているから、乾いた砂漠の砂が舞って黄色くなったような街でも愛すべきものがあれば「琥珀」にさえ見えちゃうんだね。一緒に上海蟹を食べたのかな。『夜と霧』で、生きているかどうかもわからない妻を思い浮かべ、対話し、自らを充たしたフランクルのことをさえ思い出す。愛すべき存在を心の中に宿すことは、幸福なことだ。それが収容所であっても、黄砂の只中であっても。

上手に食べても心ほろにがい。あなたと食べたいよ。上手に食べられても、美味しく食べられても、あなたがいない。寂しい。一緒に食べたいのに。美味しいねと言いたいし、美味しそうな顔が見たい。そうだ、人を愛している時は、楽しいこと、嬉しいこと、美味しいものを経験する度に、今度はあの人と、あの人にも、と思うのだ。一緒にいない時にさえ人が心を掠めること。それが愛なんじゃぁないか。苦しい。苦しいなぁ。そんなことがあった気がする。いやたしかにあった。幸福で、今となっては遠い。美味しいものを独りでむしゃむしゃしていられるのは、嬉しいことなのに、なんか寂しい。だからか、一人で外食を滅多にできない。

それでも、一人でも、上手に割って食べようとする。あなたがいなくても、ちゃんと生きていけるからと。一緒にはいなくても味方だから。そうやってあなたのいない長い長い夜を越えていくのだ。夜を越えた先に、上海蟹の朝が、あなたと上海蟹を食べる朝が来るのだろう。来るのだと信じて、今日を生きるのだ。私にも来て欲しいなあ。愛すべき誰かと上海蟹を食べる朝。

独歩

悲しい。悲しいときは文章にすることで昇華させてきたが、何を書くかも浮かばない。

自分が今何を考えて悲しいのか、わからないし、言語化しても人に見せられるようなものではない気がして、ほっぽっている。

結局のところ、こうしてひとりぼっちで寂しさに泣いているのが私の真の姿な気がする。人が好きで、人とわちゃわちゃして楽しむ、それは本当に一瞬の話で、それ以外の時間の私は陰気で人見知りで楽しかった時間を味がしなくなるまで何度も何度も思い出すだけの悲しい人間なのだ。そして、それでいい。人といるのが当たり前になってしまってはいけない。求めてはいけない。一人でちゃんと生きていかないと。私を一番よく知る友達にも、お前は特定の人間を作らずに生きていくべきだと言われた。人を頼りにしている私はろくでもないと知っているのだ。

人は、別に、いなきゃいないでいいのだ。そりゃ誰もいなければ寂しいけど、やっぱこいつでしょってやつがいなくたって、なんとなくその時々一緒に過ごしたりする人がいればそれで、時間ってものはすぎていく。ただ、ふと何かの拍子に、そういう、この人は私といようとしていてくれるかもしれない、ありのままの私を受け入れてくれるかも知れない、みたいな人をうっかり作ってしまうと、そういう隙を与えてしまうと、だんだんとそれが当たり前になってきて、人間が絶えず欲しくなる。依存だ。糖分でありカフェインでありニコチンであり薬物でありTwitterだ。

なぜ人間が欲しくなるのか。本質的には楽だからだろう。いい人間でなければならないと思い続けるのは疲れる。清く正しい人間でなければならないという呪いが、一人でいるときは常につきまとい、私はそれに従うか、従わずに罪悪感に襲われるかのどちらかである。ところが人といると、生の自分を見なくて済む。その人との関係では、その人に見せている自分しか自分ではなくなる。その人に自分が好かれているのなら、その人との関係に安住している限り、私は好かれるべき人間として生きていられる。ないしは、自分ではいい人間であるといえるのか判断しかねる自分を、人に対してさらけ出し、その肯定を得ることによって、自らの判断に代替させているのである。私はずるいからどこかで、否定されないと信じて、否定してこないだろう人を代替的判断者に選んでいるのだろう。しかし私が肯定の中にい続けるためには、常に肯定してくれる人と一緒にいなければならない。人との関係の外にほっぽり出された瞬間、私はその人の肯定からも追い出され、また様々な感情と意思と欲とが混濁した自分自身と向き合い、正しくないかもしれない自分であることの心細さに凍えなければならなくなる。人といるときは特に、その人の中に映る自分を整えるだけで、自分そのものの正しさは見なくなるから、関係性の外側に追い出された瞬間、人に映し見ていた自分とは全く異なる、醜悪な自分と対面させられ、自分という狭い空間の中に同席させられ閉じ込められる。これが耐えがたいのだ。他人の肯定に甘んじていたせいで、自分で自分を肯定する能力を退化させた私の目の前にいるのは、ただでさえ醜い、ずるくて汚くて卑しい自分であって、これを自分だと認めて肯定して生きていくなど、到底無理ではないかと思う。自己が分裂し、常に一方が一方を憎み責め立てる声を自分の内に聞き続ける。正気でいるのが難しい。どの自分をも、自分の醜さをも道連れにして、海の藻屑にでも成り果てれば、このような喧騒を世の中から消し去れるのではないかと、思い始める。寂しさと死にたさがいつも同時に来るのは、このようにしてなのだろう。

ああ、私が「優しい」のも、同じ話だ。私は人を否定しない。私は人を許す。私は人を受け入れる。それは、私が人にそれを求めているからだ。ないしは、もっと悲惨なことに、それを売り物にして、私への肯定を、好意を、忠誠を、支払わせている。相手の要求を叶えてあげた人間になることで、相手にとって特別な、大切にせざるを得ないような人間になることを潜在的に企図しているのである。自分そのもの、絶対的/客観的な自分が正しいものであることを諦めてでも、人に映る自分を身綺麗にする。この人に肯定されたいと思う人にはいくらでも「優しく」なるが、そう思わない人、思わなくなった人に凄まじく冷酷になれるのもそのせいだ。私は都合良く優しさを脱ぎ着しているだけだ。私の醜悪さはそこにある。優しいと思われがちな外面と、途方もなく利己的で計算高く貪欲で非情な内面が、一つの私として存在している。気持ち悪くなる。自分の内面を見たくない。他人の見る「優しい」私を私だと信じて生きていたい。そのためには、絶えず人といなくてはならないのだ。結局、人を自分の醜さを見ないための目隠しとして利用しているに過ぎないのかもしれない。吐き気がする。

人といない期間が長ければ、その間絶えず自己を責める声の応酬を聞いていなければならないが、だんだんと外面の良さが薄れていって、ないしは絶対的で客観的な自分そのものをいいものにしようという気が芽生えて、内面の醜さとのギャップが薄まる。そうするとなんとか、一人でも生きていけるような感触を覚えるようになる。それがいい。人に頼らないと生きていけないような自分はしょーもない。自分と他人を偽りながら善人ぶる自分は気持ち悪い。これでいいこれでいい。寂しさを作り出して人を探す口実にするな。共依存を愛と呼んで求めるな。強く生きようとする意志を放棄するな。きっとちゃんと生きていける。私はちゃんと生きていける。

なーんて言いながら、ちょうどいい人が見つかればまた、ごにゃごにゃ言い訳をしてとぷとぷ溺れていくんだろうなぁと思うと、やになっちゃうね、まったく。

閑けさに

喧騒という言葉にはかなりの確率で「都会の」という接頭語がついているように思う。喧騒の中に住んできた。喧騒と共に育ってきた。それは自分以外の人間が存在していることを絶えず教え込んでくる囁き声であって、自分が喧騒の小さな小さな一部に過ぎない自覚を押し付けてくる怒鳴り声であった。

喧騒を構成する一人として生きねばならない。時にその喧騒はませた女子中学生の黄色い声であり、時にそれは優秀な大学生のリベラルな訴えであった。人に影響され、人と同一化せねばならない。成功せねばならない。尊敬されねばならない。ねばねばねば……

うるさい、とはねつける機会もなかった。喧騒の中にいれば喧騒は"聞こえ"ない。"聞こえ"ずとも、聴いておらずとも、内面化されたねばはいつも私を規律する。その声は場面場面で演じるべき役の台本となった。その通りに演じていればいい。しかし、永遠に演じ終わることはない。どの私が本物なのか。どの私が演じている私自身なのか。自分でもわからなくなる。優等生の、おっちょこちょいの、不思議ちゃんの、無表情の、よく笑う、泣き虫の、寡黙な、素直な、ミステリアスな、何でもそつなくこなす、不器用な、私は、私なのか、役柄なのか。自分がしたいと思うことは、したいと思ったことなのか、したいと思わねばならなかったことなのか。もう分からない。自分でも分けることができない。喧騒が一つの喧騒としてあって一つ一つの声に分けられないように、私の人格や思考もごちゃごちゃと混ざりあって一つの「私」をなしているとしか言えない。我思うゆえに我ある、ことは確かだが、その我はどの我なのか。

喧騒を内面化し、出来上がった各人格の思考どもが喧騒をなし、それらを搭載した私がまた都会の喧騒に吸収されその一部をなす。そうした濁色の循環が都会の空気には漂っているのだ。私がこうなったのはお前のせいだといえるほどの、強い強制も特定の発信者もいない。ただなんとなく私は私の責任で、なんとなく自分の中に流れる淀んだ声に従い、なんとなく今のような自分になっている。喧騒の中は孤独だ。責任を負い負われるような繋がりを持たずに生きていけてしまうから。言い訳を許してくれる、その言い訳の相手すらもいないから。選んだのは自分、したのは自分、全て自分のせい。自分で責任をとらなきゃ。人は周りにたくさんいるのに、私は私の右心室に閉じこもって、一人で考えて一人で苦しんでいる。

まあ、それも普通になってしまったら、なんてことはないのだけど。

そんなことを考えているような考えていないような日常の中で、旅行に来た。田舎だ。畑が広がっていて、コンビニの駐車場が広くて、山に見下ろされていて、「旅行先」であった。最近旅行に来ても、すごく楽しくはあるけど、なんとなく自分の中に染み込んでくることはなくって、旅行というパッケージに詰められた「非日常」を消費している感覚になってしまうのだ。その景色から、そこでの人々の生活から、疎外された自分を感じてしまう。与えられた「非日常」を、美術品を見るかのように外側から鑑賞して、なるほどこれこそ非日常とふんふん頷く。どこまでも続く日常を確認する。よそ者として、他者として、遠慮しながら客らしく観光地を巡る役割を持った人間になる。結局役割を全うしなければならない。その役割がいつもと少し違うだけ。

そうであっても楽しくはあるので、今回の旅行も気の置けない人々と一緒に過ごす時間も含めて楽しみにしていた。気を遣わずに―よそ行きの顔を用意せずに―話せる人々と一緒に来たからか、車にいるだけでも少し仮面を付け替え付け替えする日常から離れられたのかもしれない。かなり自然に笑えていた気がする。

誰もまともに計画せず、宿だけ予め決めておいてその場で行く場所を決めるような気楽さもよかった。誰かによって価値の付与された観光地をできる限り多く網膜に映すようプログラムされたロボットではなく、車窓の何でもない雪景色やどこまでも続く名もない畑を自由に好きだと言える人間になれた気がした(あまりに短絡的な対比なのは否めないが)。〜〜行くならここ!と言われる観光スポットに来てみて、思いの外心の動いていない自分に気づき、なんとなく出来損ないな感じがして居心地悪くなることもない。普段旅行に行くならと頑張って読んでいた旅行雑誌も、ポップな文字の形をとった喧騒にほかならなかった。雑誌の裏にいる姿の見えない人の集合が、ここに行かねば、ここの素晴らしさを堪能せねばと訴えかけてきて、その声に引っ張られるがまま観光スポットを転がるマリオネットになる。ああ、引っ張られずに行く旅行はこんなにも自由で、リアルなのか。いいと言われているものではなく、いいと思ったものがいいものなのか。

馬鹿みたいなことを話して馬鹿みたいにうるさい車に乗って、喧騒からはだんだんと離れていった。

二日目に行った唯一の観光地らしい場所が立石寺だった。縁切り寺という情報しか与えられないまま、いい縁が間違って切られてしまわないといいなと考えて車に揺られていた。そんなに栄えてはいないけど雰囲気ある飲食店街で、やっぱり名物は食べなきゃと芋煮蕎麦を頼んだ。牛肉と汁が美味しかった。

千段の階段を登らないと縁は切れないらしい。悪縁はよほど切った方がいいものだと知る。お正月に引いていまいちだったリベンジをすべく、おみくじを引いた。大吉の割には手厳しい内容のそれに満足して、登り始める。どんな風景か、調べないで来てよかったなと思った。確認でなく発見であったから、あんなに美しいと思えたのだろう。岩に生える苔に、差し込む昼過ぎの陽、上気する体を落ち着ける雪を吸い込んだ空気、全てが愛おしく、そこにあった。愛おしいものたちと同じ空間を私はたしかに共有していた。それだけで、じんわり満たされた気持ちになる。

くだらない会話をしながら、一段飛ばしで階段を登る、登る。運動不足の体は思ったより軽く段の上を滑っていく。何者かに引っ張られず、自分の足で登っていく。自ら踏み出す一歩はこんなにも快いものだったか。

途中の休みどころみたいなスペースから見下ろした街と見上げた雪山が、びっくりするほど現実のものとして、自分に迫ってきた。お前はたしかにここにいるのだぞ、と私の肩を押さえる。ただただ美しい景色と、その景色と私が同じ場にある実感に恍惚として、ぼうっと四方を眺めていた。

さらに上に登って、目的の、奥の院についた。ふと、気づく。音が、ない。人の話し声はする。でも、その後ろ側に、音がない。やけにくっきりした特定の人の話し声が一番上のレイヤーにあって、その奥のレイヤーには音がない。まるで、この空気には、私たちしかいないみたいだ。否、本当に、私たちしかいないのだ。そこで話をしている知らないおじさんと外国人の女性も含めた私たちがいて、それ以外には何もいない。くっきりした声は、私たちの輪郭もくっきりとさせた。こんな絶景を前に、視覚ではなく聴覚をめいいっぱい働かせている私を、責める声はしない。私は私が今感動していることを感じていて、その感動が他の何者のものでもないことを知っている。自由だ。いつもいたはずの喧騒が、いつの間にかいなくなっていた。この光景を、同じ空気を、そこにいる人々だけと、一緒に感じられていることにこの上なく満足した。いつもどこかで持っていた寂しさが喧騒とともにどこかへ消えた。ああ、縁が切れたのかしら。

そこで思い出した。入口の石碑に、芭蕉の句が彫ってあったのだ。

閑けさや岩にしみ入る蝉の声

いつもしていた、蝉の声のようなけたたましい背景音が岩に吸い込まれた静寂に、残ったのは私であり、私たちであった。

食慾

貪り食つてゐる。

死にたい気持ちが常態化した時はいつもこうなる。

 

ものすごく強い絶望に襲われた瞬間は、少しでも死に近づこうと食欲が失せる。

しかしその絶望的な状況すら日常になった時、それでも生きていかなければならないのだと諦め始めた時、できることが食べるしかなくなってしまう。

人間、生きる意味などないのがデフォルトだと思っている。それでもなんとか生かされ生きている中で、積極的にそれのために生きたいと思えるような何かを見つけて、それを意味にするのだ。

色々あってデフォルト状態に戻ると、なんとかして気軽な、単純で雑な快楽を意味にするしかなくなる。何かしらの楽しみがないと生きていく気力が湧かないし、でもその楽しみのためにかけられる精神的コストはほんの少ししか残されてないから。美味しいという気持ち、あるいはそれにすらならないような味覚細胞の受容する単なる刺激は、ほんの一瞬、マッチを灯すように、少しだけ私を生へ引き戻す。また寒さに耐えられなくなれば、マッチを擦る。食べる。美味しい。食べ終わる。やっぱりつらい。探す。食べる。食べる。食べる……

心が満たされない分、せめてお腹だけは満たす。というより感覚の空白を満たす。頭を使うと、考えると、自分のつらさがくっきり見えて、死にたくなってしまうから。勉強していても、気づいたら別のことを考え、鬱々として、中断せざるを得なくなる。人と話していてさえ、つらさ、死にたさがなくなっていないことに気づき、絶望する。頭を使って楽しむような、そんな高次の快楽を享受するほど、エネルギーが私には残っていない。低次の刺激で一瞬頭の働きを停止して、やっと生きていくことができる。

死にたい気持ちと、それでも生きていかなきゃならない現実の間で、ただ食べることしかできない。いつになれば、この醜い生き方から解放されるのだろう。

 

正体

 音楽を聴いて泣きたくなるような日が久しく無かった。私はその水面の静けさに、どこか薄気味悪さを感じていた。一時期の自分とは全く別の人間になってしまったようで、感情の大部分を失ったようで、怖かったのだ。

 何のきっかけだったのかわからないが、飛行機の搭乗時刻まで持て余した時間になんとなく音楽を流してみると、メロディと歌詞が自分の世界を覆い、心に入り込み震わせた。同じように音楽を聴いていた時のことを思い出してか、何かがじわっと溶け出したように涙が出た。こんな風に気持ちが揺れるのが懐かしくて、やっと自分がかつての自分とひとつづきの人間であることを確信できた。

  なんで泣いているんだろう。深い寂しさと、切なさと、清々しい諦めが胸に鎮座しているように感じる。ああきっとそうだ、別れなのだ。

   大人ではなくとも子供でもない、そんな時期から私は、何かと別れてきたのだろう。具体的には、以前仲の良かった人と連絡もとらない仲になった。生まれた時からなんとなく包んでくれていた地元のコミュニティが、引越しによって忘れ去られた。私を知ってくれている、私のよく知っている、私の生活の全てがあった学校は、卒業とともに私と無関係の場所になった。それと同時に、私は以前の私とやはり別れたのだ。あの人と仲良くしていた、あの音楽が好きだった、あの生活をしていた、あの景色を毎日見ていた、確かに生きていた私が、私でなくなっていく。もうあの頃と同じ景色を見られない。あの頃の感覚を思い出せない。私は欲張りだから、好きなもの、持っていたもの、好きな人全部を未来に持っていきたかったのだ。全部をいつも持っていたかった。何一つ失いたくなかった。でも、それができなかった。

  時間が進む度に、持っていたものがこぼれ落ちていく。常に寂しかった。落としたものを拾っても、また別のものがこぼれてしまう。生きることは別れることなのだと、悟らざるを得なかった。1秒前の私とさよならをして、私が一体何になるのか。怖かった。いつもいつも怖くて寂しくて、だから私は泣いていた。

  きっと元気な時は、別れに蓋をしていたのだろう。失ったものを見ず、今ある自分だけを見て、今だけを掴んで。でも、別れたもの、落としたものは大事なものだった。大事なものを忘れて生きるのは欺瞞なんだろう。失ったものも今は忘れてしまった自分も、今の自分を作っているものなのだ。音楽を聴いてお酒を飲んでめそめそしていた、いつか別れた自分。その時の景色がもう見えない、その時好きだった人たちともう一緒にいられない寂しさ。でも確かにその自分が'あったこと'の意味。失いながらもやはり自分の中にあるのだと、わかってしまって、寂しさから逃げられないことへの静かな絶望感と、そのことへの安心感で、やっと昔の自分とひとつになれた気がする。

ぼやき

 感情が自分の思い通りになることなどほとんどなく、私は振り回されてばかりいる。そういうときに私ができる唯一の抵抗は書くことだった。生きているのが辛いときには原稿用紙に思いついた言葉を書き殴る。一枚書いたくらいで、どうしようもなかった胸の締め付けは和らいで、自分の文章を読み返すと、ああ頑張って生きているな、などと思ったりする。

 さて、なんでかわからないがここ数ヶ月?数週間?気分の上下が激しい。それも、明確な理由が思い当たらないのがつらい。子どもの頃には気分などと侮っていたが、気分は世界を見るためのレンズであって、暗い色のサングラスを通せば真夏の昼間という現実すら哀愁を漂わせることができる。気分が暗いとき、嬉しい出来事はちっぽけで一時的で取るに足らないように受け取られ、悲しい出来事は心と共鳴し奥深くに染みこんでいく。

 原因として、強いて言えば、普段無意識に過去のことを―嬉しいことであれ悲しいことであれ―思い出していることがあるのではないか。私が昔からゆかしく思うテーマに生と死、及び未来と現在と過去がある。両者は深く結びついているのではないかと思う。過ぎ去った時間や出来事の戻らなさと死んだもののそれは似ている。何かが死ぬことはそれが過去になることである。

 別れというものは擬似的な死である。恋人が教えてくれた"To say goodbye is to die a little"という言葉を私は好んでいるが、人との別れは、げに一つの死である。なぜなら、人と出会い関係を築くとき、その二人の間には二人だけに見ることができる世界が構築され、人と別れることはその世界からの放逐を意味するからである。生きることのできる世界が一つなくなるのだ。私はそんな世界があったことを時々思い出すが、思い出すしかできない。その中にいる自分も、相手も死んだのだ。過去でしかあり得ない。

 年をとるということは、過去が、死んだ世界が増えるということだ。過去から疎外され続けるということだ。それがとてもつらい。苦しい。

 しかしああ、私は、そろそろ受け止めなくてはならないのかもしれない。生きていくということは失うことであると。それと同時に得ているものに目を向けるべきであるのだと。減点方式で考えるからつらいのだ。手に入れたと思ったものを落としなくし奪われ壊され、それでもなお保っているものをこそ大事にする。それだけなのだろう。それが多分、前を向くということなのだろう。

 私がこうも過去に溺れるのは、将来が上手く見えないからだろうか。十年二十年単位の先を見ようとすると、金持ちかとか家庭を持っているかとか職業は何かとかそんな味気ない、ありきたりな指標で縛られた自分しか見えてこない。この先数十年とあってもそんな枠の中にしか結局生きられないのなら、私は何のために生きているのかしら、と思う。高校の友達の、私三十歳で死ぬんだ、という言葉の含意に思いを馳せる。

 そうであるなら、将来など考えない方がいいのかもしれない。向こう見ずに、今やりたいことだけやって、偶然なりたいと思ったものにだけなるのがいいのかもしれない。将来のための勉強も貯金も捨てて、今やりたいこと……やりたいことってなんだろう。寿司食べたいしか思い浮かばない。

 大学生になるまで、ずっと将来を楽しみに生きてきたのだ。幼稚園より小学校、小学校より中学校、中学校より高校が楽しくて、将来のビジョンなんて何一つ見えないけど、きっと大学生は楽しいし、社会人ももっともっと自由で楽しいのだと、素朴に信じてきてたのだ。多分今は人生のターニングポイントで、見方を変えなければならない。過去でも未来でもなく、現在の喜びをしっかりと味わわなくては。過去は触れない、未来はわからない、でも今あるものは誰も変えられない。それが窮屈でもあったけど、救いなんだろうな、わからないけど。