食慾

貪り食つてゐる。

死にたい気持ちが常態化した時はいつもこうなる。

 

ものすごく強い絶望に襲われた瞬間は、少しでも死に近づこうと食欲が失せる。

しかしその絶望的な状況すら日常になった時、それでも生きていかなければならないのだと諦め始めた時、できることが食べるしかなくなってしまう。

人間、生きる意味などないのがデフォルトだと思っている。それでもなんとか生かされ生きている中で、積極的にそれのために生きたいと思えるような何かを見つけて、それを意味にするのだ。

色々あってデフォルト状態に戻ると、なんとかして気軽な、単純で雑な快楽を意味にするしかなくなる。何かしらの楽しみがないと生きていく気力が湧かないし、でもその楽しみのためにかけられる精神的コストはほんの少ししか残されてないから。美味しいという気持ち、あるいはそれにすらならないような味覚細胞の受容する単なる刺激は、ほんの一瞬、マッチを灯すように、少しだけ私を生へ引き戻す。また寒さに耐えられなくなれば、マッチを擦る。食べる。美味しい。食べ終わる。やっぱりつらい。探す。食べる。食べる。食べる……

心が満たされない分、せめてお腹だけは満たす。というより感覚の空白を満たす。頭を使うと、考えると、自分のつらさがくっきり見えて、死にたくなってしまうから。勉強していても、気づいたら別のことを考え、鬱々として、中断せざるを得なくなる。人と話していてさえ、つらさ、死にたさがなくなっていないことに気づき、絶望する。頭を使って楽しむような、そんな高次の快楽を享受するほど、エネルギーが私には残っていない。低次の刺激で一瞬頭の働きを停止して、やっと生きていくことができる。

死にたい気持ちと、それでも生きていかなきゃならない現実の間で、ただ食べることしかできない。いつになれば、この醜い生き方から解放されるのだろう。