閑けさに

喧騒という言葉にはかなりの確率で「都会の」という接頭語がついているように思う。喧騒の中に住んできた。喧騒と共に育ってきた。それは自分以外の人間が存在していることを絶えず教え込んでくる囁き声であって、自分が喧騒の小さな小さな一部に過ぎない自覚を押し付けてくる怒鳴り声であった。

喧騒を構成する一人として生きねばならない。時にその喧騒はませた女子中学生の黄色い声であり、時にそれは優秀な大学生のリベラルな訴えであった。人に影響され、人と同一化せねばならない。成功せねばならない。尊敬されねばならない。ねばねばねば……

うるさい、とはねつける機会もなかった。喧騒の中にいれば喧騒は"聞こえ"ない。"聞こえ"ずとも、聴いておらずとも、内面化されたねばはいつも私を規律する。その声は場面場面で演じるべき役の台本となった。その通りに演じていればいい。しかし、永遠に演じ終わることはない。どの私が本物なのか。どの私が演じている私自身なのか。自分でもわからなくなる。優等生の、おっちょこちょいの、不思議ちゃんの、無表情の、よく笑う、泣き虫の、寡黙な、素直な、ミステリアスな、何でもそつなくこなす、不器用な、私は、私なのか、役柄なのか。自分がしたいと思うことは、したいと思ったことなのか、したいと思わねばならなかったことなのか。もう分からない。自分でも分けることができない。喧騒が一つの喧騒としてあって一つ一つの声に分けられないように、私の人格や思考もごちゃごちゃと混ざりあって一つの「私」をなしているとしか言えない。我思うゆえに我ある、ことは確かだが、その我はどの我なのか。

喧騒を内面化し、出来上がった各人格の思考どもが喧騒をなし、それらを搭載した私がまた都会の喧騒に吸収されその一部をなす。そうした濁色の循環が都会の空気には漂っているのだ。私がこうなったのはお前のせいだといえるほどの、強い強制も特定の発信者もいない。ただなんとなく私は私の責任で、なんとなく自分の中に流れる淀んだ声に従い、なんとなく今のような自分になっている。喧騒の中は孤独だ。責任を負い負われるような繋がりを持たずに生きていけてしまうから。言い訳を許してくれる、その言い訳の相手すらもいないから。選んだのは自分、したのは自分、全て自分のせい。自分で責任をとらなきゃ。人は周りにたくさんいるのに、私は私の右心室に閉じこもって、一人で考えて一人で苦しんでいる。

まあ、それも普通になってしまったら、なんてことはないのだけど。

そんなことを考えているような考えていないような日常の中で、旅行に来た。田舎だ。畑が広がっていて、コンビニの駐車場が広くて、山に見下ろされていて、「旅行先」であった。最近旅行に来ても、すごく楽しくはあるけど、なんとなく自分の中に染み込んでくることはなくって、旅行というパッケージに詰められた「非日常」を消費している感覚になってしまうのだ。その景色から、そこでの人々の生活から、疎外された自分を感じてしまう。与えられた「非日常」を、美術品を見るかのように外側から鑑賞して、なるほどこれこそ非日常とふんふん頷く。どこまでも続く日常を確認する。よそ者として、他者として、遠慮しながら客らしく観光地を巡る役割を持った人間になる。結局役割を全うしなければならない。その役割がいつもと少し違うだけ。

そうであっても楽しくはあるので、今回の旅行も気の置けない人々と一緒に過ごす時間も含めて楽しみにしていた。気を遣わずに―よそ行きの顔を用意せずに―話せる人々と一緒に来たからか、車にいるだけでも少し仮面を付け替え付け替えする日常から離れられたのかもしれない。かなり自然に笑えていた気がする。

誰もまともに計画せず、宿だけ予め決めておいてその場で行く場所を決めるような気楽さもよかった。誰かによって価値の付与された観光地をできる限り多く網膜に映すようプログラムされたロボットではなく、車窓の何でもない雪景色やどこまでも続く名もない畑を自由に好きだと言える人間になれた気がした(あまりに短絡的な対比なのは否めないが)。〜〜行くならここ!と言われる観光スポットに来てみて、思いの外心の動いていない自分に気づき、なんとなく出来損ないな感じがして居心地悪くなることもない。普段旅行に行くならと頑張って読んでいた旅行雑誌も、ポップな文字の形をとった喧騒にほかならなかった。雑誌の裏にいる姿の見えない人の集合が、ここに行かねば、ここの素晴らしさを堪能せねばと訴えかけてきて、その声に引っ張られるがまま観光スポットを転がるマリオネットになる。ああ、引っ張られずに行く旅行はこんなにも自由で、リアルなのか。いいと言われているものではなく、いいと思ったものがいいものなのか。

馬鹿みたいなことを話して馬鹿みたいにうるさい車に乗って、喧騒からはだんだんと離れていった。

二日目に行った唯一の観光地らしい場所が立石寺だった。縁切り寺という情報しか与えられないまま、いい縁が間違って切られてしまわないといいなと考えて車に揺られていた。そんなに栄えてはいないけど雰囲気ある飲食店街で、やっぱり名物は食べなきゃと芋煮蕎麦を頼んだ。牛肉と汁が美味しかった。

千段の階段を登らないと縁は切れないらしい。悪縁はよほど切った方がいいものだと知る。お正月に引いていまいちだったリベンジをすべく、おみくじを引いた。大吉の割には手厳しい内容のそれに満足して、登り始める。どんな風景か、調べないで来てよかったなと思った。確認でなく発見であったから、あんなに美しいと思えたのだろう。岩に生える苔に、差し込む昼過ぎの陽、上気する体を落ち着ける雪を吸い込んだ空気、全てが愛おしく、そこにあった。愛おしいものたちと同じ空間を私はたしかに共有していた。それだけで、じんわり満たされた気持ちになる。

くだらない会話をしながら、一段飛ばしで階段を登る、登る。運動不足の体は思ったより軽く段の上を滑っていく。何者かに引っ張られず、自分の足で登っていく。自ら踏み出す一歩はこんなにも快いものだったか。

途中の休みどころみたいなスペースから見下ろした街と見上げた雪山が、びっくりするほど現実のものとして、自分に迫ってきた。お前はたしかにここにいるのだぞ、と私の肩を押さえる。ただただ美しい景色と、その景色と私が同じ場にある実感に恍惚として、ぼうっと四方を眺めていた。

さらに上に登って、目的の、奥の院についた。ふと、気づく。音が、ない。人の話し声はする。でも、その後ろ側に、音がない。やけにくっきりした特定の人の話し声が一番上のレイヤーにあって、その奥のレイヤーには音がない。まるで、この空気には、私たちしかいないみたいだ。否、本当に、私たちしかいないのだ。そこで話をしている知らないおじさんと外国人の女性も含めた私たちがいて、それ以外には何もいない。くっきりした声は、私たちの輪郭もくっきりとさせた。こんな絶景を前に、視覚ではなく聴覚をめいいっぱい働かせている私を、責める声はしない。私は私が今感動していることを感じていて、その感動が他の何者のものでもないことを知っている。自由だ。いつもいたはずの喧騒が、いつの間にかいなくなっていた。この光景を、同じ空気を、そこにいる人々だけと、一緒に感じられていることにこの上なく満足した。いつもどこかで持っていた寂しさが喧騒とともにどこかへ消えた。ああ、縁が切れたのかしら。

そこで思い出した。入口の石碑に、芭蕉の句が彫ってあったのだ。

閑けさや岩にしみ入る蝉の声

いつもしていた、蝉の声のようなけたたましい背景音が岩に吸い込まれた静寂に、残ったのは私であり、私たちであった。