正体

 音楽を聴いて泣きたくなるような日が久しく無かった。私はその水面の静けさに、どこか薄気味悪さを感じていた。一時期の自分とは全く別の人間になってしまったようで、感情の大部分を失ったようで、怖かったのだ。

 何のきっかけだったのかわからないが、飛行機の搭乗時刻まで持て余した時間になんとなく音楽を流してみると、メロディと歌詞が自分の世界を覆い、心に入り込み震わせた。同じように音楽を聴いていた時のことを思い出してか、何かがじわっと溶け出したように涙が出た。こんな風に気持ちが揺れるのが懐かしくて、やっと自分がかつての自分とひとつづきの人間であることを確信できた。

  なんで泣いているんだろう。深い寂しさと、切なさと、清々しい諦めが胸に鎮座しているように感じる。ああきっとそうだ、別れなのだ。

   大人ではなくとも子供でもない、そんな時期から私は、何かと別れてきたのだろう。具体的には、以前仲の良かった人と連絡もとらない仲になった。生まれた時からなんとなく包んでくれていた地元のコミュニティが、引越しによって忘れ去られた。私を知ってくれている、私のよく知っている、私の生活の全てがあった学校は、卒業とともに私と無関係の場所になった。それと同時に、私は以前の私とやはり別れたのだ。あの人と仲良くしていた、あの音楽が好きだった、あの生活をしていた、あの景色を毎日見ていた、確かに生きていた私が、私でなくなっていく。もうあの頃と同じ景色を見られない。あの頃の感覚を思い出せない。私は欲張りだから、好きなもの、持っていたもの、好きな人全部を未来に持っていきたかったのだ。全部をいつも持っていたかった。何一つ失いたくなかった。でも、それができなかった。

  時間が進む度に、持っていたものがこぼれ落ちていく。常に寂しかった。落としたものを拾っても、また別のものがこぼれてしまう。生きることは別れることなのだと、悟らざるを得なかった。1秒前の私とさよならをして、私が一体何になるのか。怖かった。いつもいつも怖くて寂しくて、だから私は泣いていた。

  きっと元気な時は、別れに蓋をしていたのだろう。失ったものを見ず、今ある自分だけを見て、今だけを掴んで。でも、別れたもの、落としたものは大事なものだった。大事なものを忘れて生きるのは欺瞞なんだろう。失ったものも今は忘れてしまった自分も、今の自分を作っているものなのだ。音楽を聴いてお酒を飲んでめそめそしていた、いつか別れた自分。その時の景色がもう見えない、その時好きだった人たちともう一緒にいられない寂しさ。でも確かにその自分が'あったこと'の意味。失いながらもやはり自分の中にあるのだと、わかってしまって、寂しさから逃げられないことへの静かな絶望感と、そのことへの安心感で、やっと昔の自分とひとつになれた気がする。